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TOP カルト被害を考える会掲示板 イエスとヨハネ  原理講論はえせ科学  原理講論は沢山あるえせ科学のうちの1つ  聖書を基礎としているなら、ぜったいに清平の役事なんてありえません。 文鮮明による教義の解説
統一協会はイエス様がわからない 上の素材は http://webweb.s92.xrea.com/flash/flash_background.php から借用
イエス様はどんな人 1 :ランナー:2004/08/15(日) 00:52:12:00 以下の記事を記録します。 イエス様はどんな人 投稿者:ランナー 投稿日:2004/07/01(Thu) 23:15 No.5747 どーなさん こんばんわ。 >ランナーさんに言われたので、四つの福音書をもう一度通読しました。 >もちろん霊的に糧になりました。が、やはりイエスも、相当過激なことを言っているので、 >少し恐ろしくなりました。 >自分に逆らったら地獄行き、自分によらなければ天国への道はない…などなど >文先生の言動に重なるところがたくさんあります。 福音書を通読してくださり、どうもありがとうございます。 聖書解釈については、どーなさんの感じた通りで、歪みはないだろうと思います。 どーなさんに、お願いしたいのは、あと2回通読してみて欲しいと願います。 イエス様の人間性・性格が分かるようになると思います。 イエス様が、どういう時に、なぜ過激になるのか、 そのときにイエス様が何を思っているか理解できる感性が得られると思いますので、、、 Re: イエス様はどんな人 どーな - 2004/07/02(Fri) 16:18 No.5750  ランナーさん、どうも。  私にとってのイエスの偉大さは、ご自身を神と等しいものとされながらも、 自分の生命を罪人の中の罪人のような姿で差し出されたことに収斂されます。 生きながらえて、神としての栄光を受けようとはされず、 死ぬことで神の栄光を表そうとしたことで、 人々が罪深さにおののき、悔い改められるようになったのだと思います。  処刑の場にいたローマ兵が「この人は真の人だった」と気付いたのも、 弟子たちも本当の意味でイエスの価値を感じたのも、 神と等しいはずのイエスが死んだからこそだと思います。  もし、イエスが自分を神の子だとしながら、老衰死するまで生きていたなら、 イエスを中心とする宗教は、世界的にはならなかったと思います。 十字架上で神の愛を示されたことが、最も説得力があり、 誰の目にも分かり易いことでした。  私も、イエスがいくら過激で脅迫的で、ある意味自己中心的なことを言ったとしても、 この一点で彼を信頼できます。  ただ、処女降誕、復活やその他の神学論争的なことは、 今となってはむしろ障害にすら感じられます。 イエスの生き様に触れて、自分が深く悔い改められれば、 それで十分ではないかと思ったりしてます。 Re: イエス様はどんな人 ランナー - 2004/07/03(Sat) 00:41 No.5752 どーなさん こんばんわ >弟子たちも本当の意味でイエスの価値を感じたのも、 >神と等しいはずのイエスが死んだからこそだと思います。 これについては、どう福音書に書いてあるか、一緒に少し読んでみます。 ///////// ルカ24章 ////////////// 24:1 週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。 24:2 見ると、石が墓からわきにころがしてあった。 24:3 はいって見ると、主イエスのからだはなかった。 24:4 そのため女たちが途方にくれていると、見よ、 まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。 24:5 恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。 「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。 24:6 ここにはおられません。よみがえられたのです。 まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。 24:7 人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、 三日目によみがえらなければならない、 と言われたでしょう。」 24:8 女たちはイエスのみことばを思い出した。 24:9 そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。 24:10 この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。 彼女たちといっしょにいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。 24:11 ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。 24:12 〔しかしペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。 それで、この出来事に驚いて家に帰った。〕 24:13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、 エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。 24:14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。 24:15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、 イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。 24:16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。 24:17 イエスは彼らに言われた。 「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」 すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。 24:18 クレオパというほうが答えて言った。 「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」 24:19 イエスが、 「どんな事ですか。」 と聞かれると、ふたりは答えた。 「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。 24:20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、 死刑に定め、十字架につけたのです。 24:21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。 事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、 24:22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。 その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、 24:23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。 そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。 24:24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、 はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」 24:25 するとイエスは言われた。 「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。 24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、 それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」 24:27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、 聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。 24:28 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。 24:29 それで、彼らが、 「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから。」 と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中にはいられた。 24:30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。 24:31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。 24:32 そこでふたりは話し合った。 「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、 私たちの心はうちに燃えていたではないか。」 24:33 すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、 24:34 「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた。」と言っていた。 24:35 彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。 /////////////////// イエスの弟子たちも、どーなさんと同じく、 イエス様が復活したという知らせは信じなかった、と書いてありました。 そのため、イエス様は、死んだだけだったなら、イエス様を信じる信仰は始まらなかったと思います。 Re: イエス様はどんな人 どーな - 2004/07/03(Sat) 12:23 No.5754 ランナーさん、こんにちは。  キリスト教の信仰告白の中核の一つが、イエスの復活を信じることであることは知っています。  イエスの死後、意気消沈していた弟子たちに現れて(私は霊現象だと解釈してます)、 もう一度愛し許されたので、彼らの信仰に火がついたというのが自然だと思います。  ただ、ヨーロッパ諸国のように、 千年以上も前からキリスト教が生活文化と渾然一体になってきた国の人間でなければ、 歴史的に科学と遊離してきた教理に関してあれこれ考え、結果的に距離を置いてしまうと思います。 特に現世代の日本人のように、科学の恩恵ばかりを先に受けて育ってきた人間にとっては。  また、ヨーロッパ諸国でも教会離れが進んでいるようです。 でも、逆にこのことで国の経済力が落ちている(ドイツなど)ことなどが不思議なところです。  逆説的ですが、原理の言う「新しい真理」の出現は、必要なのかもしれないという考えは残ってます。 もし、この考えを否定すれば、宗教は結局、人間が作り出したものである、という結論になりそうです。 なぜなら、キリスト教とイスラム教の違いが、分からないからです。 Re: イエス様はどんな人 ランナー - 2004/07/04(Sun) 00:07 No.5759 どーなさん こんばんわ >イエスの死後、意気消沈していた弟子たちに現れて(私は霊現象だと解釈してます)、 これについては、どう福音書に書いてあるか、一緒に少し読んでみます。 ///// ルカ24章 ///////// 24:36 これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真中に立たれた。 24:37 彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。 24:38 すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。 24:39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、 よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」 24:41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、 イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。 24:42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、 24:43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。 ////////////////////////// これを読むと、復活したイエス様は、ご自身が霊現象では無いと証明していました。 Re: イエス様はどんな人 どーな - 2004/07/04(Sun) 12:46 No.5760 >これを読むと、復活したイエス様は、ご自身が霊現象では無いと証明していました。  聖書の記述を額面どおりに受け取るとそうなると思います。 でも、解釈の仕方によっては、弟子たちを激励するためにそう言ったとも考えられます。 あるいは著者の計らいである可能性も十分考えられます。  ランナーさんの引用はルカですが、ヨハネ書などは、イエスの言葉にかなり「やらせ」 (悪い言葉ですみません)があると聞いてます。ギリシャ人伝道のための方便とのことです。  肉体ならば、再び昇天するときに、肉体のまま、天に昇られたとお考えですか?  キリスト教にも、完全にファンダメンタルな教派から、 かなり現実的に聖書解釈をする教派までいろいろあると思います。  良かったら、ランナーさんは、どんな教派の信仰を持ってらっしゃるのか教えてもらえませんか?  私としては、仮に自分がキリスト教の信仰を持つとしたら、 自分の所属する社会(国とか家族)に伝統的に認められていて、 ごちゃごちゃ考えなくても自然に信仰を持てる場合か、 神学的論争に関わる必要がなく(関わると混乱するだけなので)、 悔い改めの祈りとか単純な奉仕活動をするだけでいい環境がある場合かなぁ、と思ったりします。  教義の検証はあまりやりたくないです。  統一教会のような宗教が出てきたのも、聖書自体の性格に起因していると思います。 キリスト教関連の分派は、あまりにたくさんありすぎです。 Re: イエス様はどんな人 ランナー - 2004/07/04(Sun) 14:56 No.5761 どーなさん こんにちわ。 >聖書の記述を額面どおりに受け取るとそうなると思います。 >でも、解釈の仕方によっては、弟子たちを激励するためにそう言ったとも考えられます。 >あるいは著者の計らいである可能性も十分考えられます。 この考えは,聖書以外のところから入って来た考えですよね。 また,こう考えると,福音書を読むのが無駄に思える見方とも思います。 私は,単に福音書からイエス様の人間性を読み取って,イエス様と共感することが好きな者です。 福音書の意図は,そこに書いてあるままと思います。 どーなさんは,霊現象の概念を統一協会から埋め込まれたように思いました。 私の意図は,単に, 福音書には,統一協会の言うようにはイエス様の復活が記述されていない, ということだけでした。 Re: イエス様はどんな人 どーな - 2004/07/05(Mon) 22:51 No.5763  ランナーさん、なんどもありがとうございます。  確かに、私の聖書への見方は、原理フィルターを通して見てしまうところが、 無意識的にあると思います。むしろ逆にしっくりくるのが正直なところです。  ですが、統一教会問題は、やはり聖書がらみの問題ではない、と改めて思います。  ランナーさんは、イエスの人間性を強調されますが、その点では、私においても、 他の現役信者においても、クリスチャンの感じている感情と、ほとんど変わらないと思いますよ。 これは、統一教会式に聖書を読んでも可能なことです。  統一原理が声を上げてアピールするのは、神学的な辻褄合わせです。  むしろ、キリスト教のイエス像と、統一教会のイエス像が、人間性の面で、 どこがどう違うのか、直接指摘して下さると分かりやすいのですが…。   聖書には、私にはどうしても信じられないことが書いてあります。 アメリカ大統領が手を置いて宣誓したりするけど、「本当に信じてるのだろうか?」と訝しがってます。 ランナーさんは、例えばマタイ27章52節の「また墓が開け、 眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った」という記述を信じてますか?  私には、何らかの解釈を施さないと、聖書が価値ある書物であり続けられないのです。 決して福音書を読むことが無駄とは思ってません。  ファンダメンタリストにはなり切れないタイプなので、どうしてもそうなってしまうのです。 Re: イエス様はどんな人 ランナー - 2004/07/10(Sat) 20:03 No.5790 どーなさん こんばんわ。 >ランナーさんは、イエスの人間性を強調されますが、 >その点では、私においても、他の現役信者においても、 >クリスチャンの感じている感情と、ほとんど変わらないと思いますよ。 これは、違うのではないかと思います。 以前、現役の統一協会の方と以下の会話をしたことがありますので、、、。 http://www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/form1901-.htm 引用開始 NO.1911 日時 : 2001年7月3日 4:44 ペンネーム=天使のラッパ 以前、原理公論の公は講の打ち誤りで、却下は棄却の誤りでした。 卑弥呼さんへ 神山元会長の現在の様子をしらせてくださって有難うございました。神様が実 在されるなら彼の現在の様子を見て神様のなされるワザを確かめたかったので す。以前、神山氏が文鮮明氏とダンベリーに居られた時、文鮮明氏が神山氏の クツのヒモを結んであげた・・・・・という話を聞きました。(古い話なので その時の事情はわかりません)人のクツのヒモを結ぶということは相手にひざ まづかないと結べません。文鮮明氏ともあろうお方がわけもなく弟子にひざま づくなど考えられません。そこで、私なりの解釈ですが文鮮明氏はこの時すで にこれから先に起こりうる事をすべてお見通しされておられたと思います。そ こでダンベリーから出られて日本の統一協会の会長として歩まれる神山氏に指 導者の姿勢はどうあるべきか「上の者(アベル)は自分より下の者に侍ってつ くし、その姿を見て下の者(カイン)が上の者(アベル)について行く」文鮮 明氏自らお手本を示され、文鮮明氏の願いを神山氏に託されたのだと思います。 ところがその後、神山氏はクツのヒモを結んでいただいた恵みの話に留まって いて文鮮明氏の奥にある話は聞かれませんでした。その後、彼はテレビに出て いたとおり「訴えるのなら訴えてみなさい・・・・・」というような事を言っ てしまいました。文鮮明氏は神山氏(指導者=幹部)が傲慢になることを望ん で彼にひざまづかれたのでしょうか??????? 彼は今、劣悪な条件の異国の場所でこれから来る人々(神山氏から見ればカイ ン)の為に天国建設の労働(神山氏の年齢は現在何歳か知りませんが)をされ ておられるそうですね。これは神様と文鮮明氏の彼に対する失敗の責任の取り 方を与えられたことだと思います。彼にとっては今の現状の失敗を取り返すチ ャンスをいただいた・・・と感謝して神様と文鮮明氏の許しを頂けるまで頑張 っていただきたいと思います。 神様は人間に5%の自由を与えてくださいますが、その5%(責任が付く)を 誤れば、その内容にふさわしい時期と責任が必ず付いてくるという事を今の神 山氏の姿を見て実感しております。 協会の幹部の方たちは下の者(カイン)に対して耳を傾けたり侍ったり(文鮮 明氏が神山氏に侍ったように)していますか???????後は自分(幹部の 方たち)の5%です。 NO.1915 日時 : 2001年7月4日 21:57 ペンネーム=ランナー Re NO.1911 天使のラッパさん > >以前、神山氏が文鮮明氏とダンベリーに居られた時、文鮮明氏が神山氏の >クツのヒモを結んであげた・・・・・という話を聞きました。(古い話なので >その時の事情はわかりません)人のクツのヒモを結ぶということは相手にひざ >まづかないと結べません。文鮮明氏ともあろうお方がわけもなく弟子にひざま >づくなど考えられません。 天使のラッパさん はじめまして。 これは、聖書を読んでいるならば、そうしなければならなかった理由が明確 と思います。 なぜなら、以下の様に書いてあるからです。 //////// ヨハネ13章 引用開始 /////////////////////////////// 3:1 さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の 時が来たことを知られたので、 世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。 13:2 夕食の間のことであった。 悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする 思いを入れていたが、 13:3 イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来 て父に行くことを知られ、 13:4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまと われた。 13:5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとって おられる手ぬぐいで、ふき始められた。 13:6 こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。 ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるので すか。」 13:7 イエスは答えて言われた。 「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるよ うになります。」 13:8 ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでくだ さい。」 イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の 関係もありません。」 13:9 シモン・ペテロは言った。「主よ。わたしの足だけでなく、手も頭も洗 ってください。」 13:10 イエスは彼に言われた。 「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。 あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」 13:11 イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みながきよい のではない。」と言われたのである。 13:12 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼 らに言われた。 「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。 13:13 あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう 言うのはよい。 わたしはそのような者だからです。 13:14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったので すから、 あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。 13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、 わたしはあなたがたに模範を示したのです。 ////////////// 引用おわり  //////////////////////////// 天使のラッパさんは、なぜ、これに気付かなっかったのでしょうか。 聖書を読んでいる人には、これは常識です。 統一協会は、信者が(聖書はもう分ったと思うようにさせ)聖書を読む事から 遠ざけていると思います。 だから、天使のラッパさんには、その意味がわからなかったのでしょう。 (神山元日本統一協会会長は聖書のこの箇所をしっていたので、 文龍明(鮮明)氏は、そのように振舞ったのでしょう。) しかし、今は、天使のラッパさんのお話からすると、 文龍明氏は、聖書のこの箇所を無視しているのだろうと思います。 いずれにしろ、指導者は信者の模範です。 引用おわり Re: イエス様はどんな人 どーな - 2004/07/11(Sun) 01:48 No.5793  ランナーさん、こんばんわ。  残念ながら、統一教会のことを十分お知りになってないという印象を受けます。  イエスの「人の上に立つ者は、みんなに仕える者でなければならない」 という教えは、統一原理の根幹であるアベルカインの教義そのものなのです。 だから、ほとんどの信者は、たとえこのヨハネの引用部分を知らなくても、 読めば普通に同意するだけです。  この天使のラッパさんも、そういう聖書的背景をふまえての書き込みだと思います。  このランナーさんの指摘を一般的な信者が読んだら、 「原理の深みが分からず、一方的に誤解している」と思われかねません。  信者は、文氏が、イエスのように完全に自分を捧げて、下の者に仕える方、奉仕される方、 だと信じているからこそ、強固な信仰を持っているんです。  信者は、イエスの人格が分かってないのではなくて、むしろ逆に、 文氏がイエスの人格を持っていると思っているのですよ。 このことが問題を難しくしているのです。  そもそもイエスの人格は、聖書の記述がどうこうという以前に、ある意味単純なものではありませんか?  私が統一教会で学んで、今でも自分で解釈しているのは、イエスは、神の愛を体得し、 最高に神と人を愛する方である、ということ。 神の愛とは、どんな敵をも許せる愛、無条件の愛、悔い改めに導く愛などだと思ってます。  私は、聖書をもって統一教会問題を掘り下げることは、若干焦点がずれているように感じます。 原理への信仰は、聖書を読んだらなくなるというような代物ではありませんよ。  原理をもって原理や組織の矛盾を掘り下げることが、おそらく最も有効です。 Re: イエス様はどんな人 モモン - 2004/07/11(Sun) 12:54 No.5796 天のしずくさん、はじめまして。よろしくお願いします。 どーなさん、ランナーさん、ヨコから失礼します。 私の霊の親(勧誘者)の“天使のラッパさん”の話が出ていたので 私もお邪魔しに来ました。 天使のラッパさんはイエス様の御言葉がギッシリ詰まった新約聖書は あまりご存知ではありませんでした。 “イエス様が弟子の足を洗う”という部分もランナーさんに 指摘を受けるまで全く知りませんでした。 これは、天使のラッパさんが“新約聖書”にたいして無知なのではなく 統一協会で 「今のこの時代に新約聖書を一生懸命に読んでも意味がない、  再臨のメシアである文鮮明氏が書かれた“原理講論”こそ真剣に        読まなければいけない」と言われていたからなんです。 ランナーさんに逆らって申し訳ないんですが、 新約聖書をもって統一協会の問題を掘り下げられるのは、 私のように統一協会に入って間もない者に限定されるのではと思うようになりました。 十数年もの長期に渡って統一協会で真面目に信仰されている人ほど 統一協会の矛盾に気がつき難くなるのでは思うんです。 長年、信仰されている人にたいしては、むしろ どーなさんが >原理をもって原理や組織の矛盾を掘り下げることが、おそらく最も有効です。 と言っておられることが、私もよい方法なのではと思います。 Re: イエス様はどんな人 もみの木 - 2004/07/11(Sun) 14:24 No.5797 >私は、聖書をもって統一教会問題を掘り下げることは、若干焦点がずれているように感じます。 >原理への信仰は、聖書を読んだらなくなるというような代物ではありませんよ。 >原理をもって原理や組織の矛盾を掘り下げることが、おそらく最も有効です。 わたしもそう思います。 原理講義を何度も受けて、原理講論を真剣に読んだ信者に関して言えば、 福音書を読んで原理の間違いに気づくということはちょっと想像できません。 マインドコントロールされているから間違いに気がつかないのではなく、 原理講論の聖書解釈は、あれはあれでけっこうよくできているからです。 統一教会の信者は確かに聖書を読まない人が多いですが、精読している人もいます。 精読すればかならず間違いに気づく、というものではありません。 もともと聖書解釈に関して言えば、どれが間違いでどれが正しいなんて言えないと思うんですよ。 イエス観についても同じです。百人百様の解釈、百人百様のイエス観があってもおかしくないと思います。 イエスの父親がザカリヤだという解釈は原理講論に載っていませんが、 なるほどそうだったのかと感心した記憶があります。 創作にしても、処女懐胎よりは受け入れやすいと思いました。 統一教会をやめていく人の大半は、教義上の矛盾が原因ではなくて、現実の人間関係 (アベル・カイン問題、アダム・エバ問題)が原因ではないかと思います。 祝福を受けた人であれば、相対者との不和が原因のトップでしょうね。きっと。 残念ながら、ここまでくると聖書解釈の矛盾は全く問題にならないと思います。 教義的に批判を始めるのは、こうした原因で傷ついて離教した後だと思います。 もちろんそうでない人もいることは否定しませんけど。 Re: イエス様はどんな人 ランナー - 2004/07/11(Sun) 15:51 No.5799 モモンさん,フォローをどうもありがとうございます。 長年信仰されている方には,原理講論をもって原理講論の矛盾を指摘するのが一番有効ということ, 助言をありがとうございました。 (決して,私に逆らっているなどと思わないでください。ご指摘,どうもありがとうございました。) どーなさん,もみの木さんも同じ意見ですので,それが真実だと了解しました。 私は,統一協会信仰を始めて間もない方のためのお話しを中心にさせていただこうと思います。 私が統一協会の信仰のベテランとお話しすることもあるかもしれませんが, その場合は,その方(ベテラン)を説得するよりは, その会話を聞いているかもしれない,信仰がまだ間もない方がいらっしゃることを期待して,お話ししようと思います。 そのため,今後,統一協会のベテランだけがついていけるような難しい話はしないようにしようと思います。 (中略) Re: イエス様はどんな人 ランナー - 2004/07/16(Fri) 23:43 No.5829 皆様こんばんわ。 以下で、単純で分かり易いと思う話を一つします。 統一協会の人は聖書を読んでいない人が多いそうですが、 以前お話ししたベテラン統一協会員がいました。 以下の議論を読めば分かるように、この人も福音書を読んでいない人でしたが、 福音書を読んでいるふりをしたいようでした。 自分が読んでいない福音書を、人に読むように薦めたりして、 いかにも福音書を読んでいるようなふりをしていました。 そういう人に薦められたら、福音書は読まないようになりますよね。 引用開始 Re: 富士の樹海の散歩(RXさんと)(No.2906への返信) / 投稿者:パドゥク RXさん > ただの戒めで事故が無くなるとは思えませんね。 私もそう思います。人間がしっかりしなければ いつでも事故は起きるものと思います。 > そもそもパドゥクさんが愛と呼んでいるものは何ですか? 言葉で表現するのは難しいですが・・・、 まず、今のままの私を受け止めてくださっていることを 感じます。それと同時に、もっともっと立派になること 成長することを期待されていることも感じます。 前者の無条件の慈愛と、後者の自分以上に素晴らしく なることを願う愛がバランスをとっているように 感じます。 今のままの自分を受け入れてくれると感じるので 心地よいのと、成長を願われていることを感じる ので、もっと頑張ろうという力も湧いてくる・・・。 私は無条件に受け入れる愛を母親的な愛と感じます。 また、もっと正しく、もっと清く、もっと成長する ように促す愛を父親的な愛と感じています。 まあ、私はちゃらんぽらんなところがあるので、 許しの愛を一番感じているというのが正直なところ かも知れませんが・・・。 > それからイエスキリストは貧しい者に施しなさいと > 言っているので全く正反対です。 福音書のイエス様の言動を調べていくとそのような 単純な結論が言えないことが分かってくと思います。 いろいろありますが、例えば、マルコ12/41?44と ルカ21/1−4には、貧しい婦人が、乏しい中から 、あらゆる持ち物、生活費全部を献金するのを 賞賛する場面があります。 イエス様が単純に貧しいものを経済的に豊かに したいという方針で活動しているとすれば、 貧しいものが生活費や持ち物全部を捧げることを 止めたのではないでしょうか? RXさん式に言えば、献金地獄になることを 止めなかったばかりか、何故、賞賛されたのでしょうか? (後略) No.3013 2003/08/07(Thu) 15:12 Re: パドゥクさんへ (No.3023への返信) / ランナー パドゥクさんが以前、以下のように書いておられました。 >Re: 富士の樹海の散歩(RXさんと) (No.2906への返信) / パドゥク (前略) > >一度、聖書の福音書をよく読まれたらどうでしょうか? >イエス様の言動と、ムン ソンミョン先生の言動は一致する部分が >あまりにも多いです。また、反対する人のようすもよく似ていますよ。 >No.3007 2003/08/07(Thu) 02:48 だから、福音書が読まれないのですね。 誰が何を言っても、福音書を通読しましょう。 私には、パドゥクさんが福音書を通読しているとは考えられません。 ひろい読みだけでしょう。 パドゥクさんの先の書き込みに答えると、 文龍明さんの教えと、イエス様の教え(福音書)は全然ちがいます。 イエス様は、以下のようにおっしゃっています。 ///// マタイ6章 ///////// 6:23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。 それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。 6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。 一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。 あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。 ///// 引用おわり /////////// 統一協会は信者を富に仕えさせているので、 イエス様の教えに真向から反対しています。 No.3025 2003/08/11(Mon) 10:06 Re: 富士の樹海の散歩(RXさんと) (No.2906への返信) / 投稿者:ランナー 3013パドゥクさん> >いろいろありますが、例えば、マルコ12/41?44と >ルカ21/1−4には、貧しい婦人が、乏しい中から、 >あらゆる持ち物、生活費全部を献金するのを >賞賛する場面があります。 >イエス様が単純に貧しいものを経済的に豊かに >したいという方針で活動しているとすれば、 >貧しいものが生活費や持ち物全部を捧げることを >止めたのではないでしょうか? >RXさん式に言えば、献金地獄になることを >止めなかったばかりか、何故、賞賛されたのでしょうか? パドゥクさんが聖書を読んでいないことが、この言葉から分かります。 何という誤った話をされるのですか。 聖書を読めば、その誤りはすぐわかります。 聖書を読んでみます。 /////// ルカ21章 ///////////////////////////////////// 21:1 さてイエスが、目を上げてご覧になると、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れていた。 21:2 また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。 21:3 それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、 どの人よりもたくさん投げ入れました。 21:4 みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、 この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」 ////////////////////////////////////////////////////////////////// こうして読めばわかるように、 この話は、ほんのわずかな金額しか献金しなかった人をイエス様が弁護した話だったのです。 「彼女の献金金額は何と少ないのだろう。」という周囲からの批判が聞こえてくるようです。 イエス様は、その批判に対して、 「献金が少ないと批判してはいけない。 この銅貨2つは、あなた方にはとても少ない献金に見えるが、 彼女にとって、これは大変高額な献金だったのだ。 なぜなら、これは彼女の全財産だからである。」 と言って、彼女の献金の少なさを弁護した話です。 この話からわかるように、 イエス様は、全財産があるどころか借金を抱えている人からは 決して献金を求めないし、 その献金金額が0であるのをとても良く弁護してくれる人(神様でもあります)です。 No.3033 2003/08/12(Tue) 23:47 Re: 富士の樹海の散歩(RXさんと) 投稿者:パドゥク ランナーさん ランナーさんは弁護のためと解釈されているようですが、 別に周りの人が非難したとも書かれていないので、それは ランナーさんの想像であると思います。 素直に読めば、弟子たちへの教育となるのではないで しょうか? 神様がなにをよしとみなされるかを教えているように 思います。 マルコ12/44のほうには、あらゆる持ち物、生活費全部 を入れたと書かれています。 しかし、弁護にしろ、賞賛にしろ、 そのような行為を善とみなしていることに変わりは ありません。 貧しい人が、あらゆる持ち物、生活費全部を捧げれば、 どれほど生活が大変になるでしょうか? しかし、イエス様の中では、生活苦よりも神様を愛した その功績の方が重要であるという価値基準があることは 明らかに読み取れます。 また、このことは、イエス様の言動のいたるところに 出てきます。 天国に行くにはどうしたいいかと聞く人には、すべての 財産を貧しい人に施しなさいと指示されます。 すべての財産を施したら乞食になるのではないでしょう か? そして、一門無しになって私について来いと言っている のです。 その人は、そこまで出来ず悲しく去っていきます。 そこでイエス様は。「金持ちが天国に入るのはらくだが 針の穴を通るよりもむずかしい」と言われます。 また、この世で、家族や家や土地や財産をイエスの名の ゆえに捧げたものは、あとで何倍何十倍のものを受ける という発言も何箇所にもでています。 ようはイエス様は、神の国と神の義を実現する為には、 すべてを捧げ、全てを犠牲にせよとあちらこちらで 言われているのです。 もし、ランナーさんがこれを否定するならば、ランナー さんは聖書を正しく読んでいないことになるように 思います。 No.3035 2003/08/13(Wed) 12:09 Re: 富士の樹海の散歩(RXさんと) 投稿者:ランナー >マルコ12/44のほうには、あらゆる持ち物、生活費全部 >を入れたと書かれています。 パドゥクさん、、、 マルコ12章を読んでみましょう。 ///// マルコ12章(新改訳) ////////// 12:41 それから、イエスは献金箱に向かってすわり、 人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。 多くの金持ちが大金を投げ入れていた。 12:42 そこへひとりの貧しいやもめが来て、 レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。 12:43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。 「まことに、あなたがたに告げます。 この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。 12:44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、 この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」 //////////////////////////////////////// これだけで十分とも思いますが、 もう1つの聖書(翻訳)を読むのに、お付き合いしてください。 ///// マルコ12章(口語訳) ////////// 12:41 イエスは、さいせん箱にむかってすわり、 群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。 多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。 12:42 ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。 それは一コドラントに当る。 12:43 そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、 「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、 だれよりもたくさん入れたのだ。 12:44 みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、 あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。 //////////////////////////////////////// これを読むと、聖書の翻訳の言葉のあやで、 >あらゆる持ち物 とイエス様が言ったと書いてあるだけですね。 それが、どうしたと言われるのですか。 パドゥクさんは、イエス様の心を読まずに、 ただ、ひろい読みだけしているようです。 事実として、レプタ銅貨2つを献金しただけです。 いかにも少ない額ですね。 それを、イエス様が、周囲に聞こえるように話して、弁護したのです。 No.3038 2003/08/14(Thu) 00:56 Re: 富士の樹海の散歩(RXさんと) 投稿者:パドゥク ランナーさん、 > ///// マルコ12章(新改訳) ////////// > 12:41 それから、イエスは献金箱に向かってすわり、 > 人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。 > 多くの金持ちが大金を投げ入れていた。 > 12:42 そこへひとりの貧しいやもめが来て、 > レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。 > 12:43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。 > 「まことに、あなたがたに告げます。 > この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。 > 12:44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、 > この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」 > //////////////////////////////////////// > 事実として、レプタ銅貨2つを献金しただけです。 > いかにも少ない額ですね。 > それを、イエス様が、周囲に聞こえるように話して、弁護したのです。 周囲に聞こえるように話したとランナーさんは想像されていますが、 「弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。」 とあるので、私は弟子たちに教育として話して聞かせたと思います。 もし、周囲に聞こえるように話ならば、わざわざ「呼び寄せる」 必要はないと思います。 また、私が弟子たちへの教育と考えるもう一つの理由は、他のところでも イエス様は、すべての財産を捧げることを何度も言われているからです。 例えば、マルコ10/17?31には、永遠の生命を受けるために何をしたら よいかと聞いた人に、持っているものをみな売り払って貧しい人々に 施しなさいと言われました。そして、イエス様に従って来なさいと言われます。 その人は、それができないので悲しみながら立ち去ります。 するとイエス様は弟子に、「財産のある者が神の国にはいるのは、 なんとむずかしいことであろう」と言われ更に、 「富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が もっとやさしい」と言われます。 また、「イエスのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、 もしくは畑を捨てた者は、必ずその百倍受ける。・・・きたるべき世では 永遠の生命を受ける。・・・」と言われています。 ここからは、明らかに全財産を手放すことが永遠の生命を受けるために 必要であることが分かります。 また、ルカ14/33には、 「自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となる ことはできない。」とあります。 これらの聖句と比較しながら、レプタの話を見てみるとき、単なる弁護 以上に重要な天の基準についての教育的内容が含まれていると 分かるのではないでしょうか。 ところで、ランナーさんは、マルコ10/17?31、ルカ14/33の内容に 関してはどのような見解をお持ちでしょうか? No.3070 2003/08/20(Wed) 03:00 Re: 富士の樹海の散歩(RXさんと) 投稿者:ランナー >周囲に聞こえるように話したとランナーさんは想像されていますが、 >「弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。」 >とあるので、私は弟子たちに教育として話して聞かせたと思います。 >もし、周囲に聞こえるように話ならば、わざわざ「呼び寄せる」 >必要はないと思います。 パドゥクさん 大分亀レスになりますが、、、 それは違います。 イエス様は、 弟子を招集して、人が集まって何か重要な話をしている という雰囲気を作って、 このやもめの銅貨2枚の献金がいかに素晴らしい献金か、 銅貨2枚の献金がいかにすごいことか、強調することで、 それ以上の献金は神様(イエス様)には必要無い事を 神様が態度で示したと思います。 No.3910 2003/11/19(Wed) 23:21 引用おわり Re: イエス様はどんな人 どーな - 2004/07/20(Tue) 00:27 No.5834  ランナーさん、ごくろうさまです。  ご参考までに、私が清平(知ってますよね?)で体験したことエピソードを書きます。  私は、そこの長期の修練会に参加したことがありますが、 教会内で権威ある講師の竹○さんの講義ビデオを見ました。  とても印象に残っているのですが、彼は、「イエス様は、金持ちが天国に入るより、 ラクダが針の穴をを通る方がたやすい、と言ったが、成約時代は、 ある程度の金がないと天国に入れない。 イエス様が言っていることと違っているが、最終的にオトーサマが天国を作るのだから、 いずれにせよ終わりよければ全て善し!」などと、語ってました。 皆さん、和やかに笑ってましたが、この心理は、文氏とか自分の教団への信頼から来ているのですね。  要はこういうことなんですよ。 イエスの言っていることと、多少食い違いがあっても、オーケーってことです。  従って、聖書を読むときも、一致している内容は原理の裏づけだと取るし、 ずれている内容は、聖書の方が間違っている (イエスは、時代に合わせるために、様々な方便を使ったとされていることもあり) と、捉えるのが基本姿勢です。  イスラム教が、福音書を聖典としながらも、イエスの神性(三位神など)を否定して、 最終的な価値判断基準をコーランに置いているのと、同じようなものです。  私は、キリスト教がイスラム教と違うくらい、キリスト教と統一教会は違うと思いますし、 大多数の信者にとっては、これは既成事実だと思います。  統一教会も、善を標榜するからには、宗教の良い面も持っているわけで、 魂を救う一定の力はあると思います。ただ、カルト性が強すぎるため、 周囲への被害を生んだり、本人も適応できなくなると悲劇になる、 ということが本質的な問題なのではないでしょうか。  個人的には、聖書とここが違うという指摘よりも、民俗学的、比較宗教学的観点から、 統一原理の生成や位置づけ、または文氏の人物像の客観的分析を示してもらえると、 とても有意義です。 そのことで、統一教会が、原理主義的な単なる一新興宗教だと思えるからです。 Re: イエス様はどんな人 ランナー - 2004/07/23(Fri) 23:23 No.5836 >要はこういうことなんですよ。 >イエスの言っていることと、多少食い違いがあっても、オーケーってことです。 どーなさん こんばんわ。 オーケーではありません。オーケーしたら不幸になります。 以下の議論を参考にしてください。 引用開始 http://www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/form3301-.htm NO.3380 送信日時: 2003年4月25日金曜日 19:39 ペンネーム=くまのこプー 久々に登場させていただきます。 「地上天国」って何?確かに今の北朝鮮は統一教会とそっくりですよね。でも まだ私がバリバリ教会の活動をしていた時にアベルが「本物が現れる時には必 ず似たような偽者の現象がある」と説明されたような気がします。それが共産 主義だったり、メシヤ宣言をする人物もたくさん出てくる。と・・・ でも本当に統一教会は本物なんだろうか ? 統一教会で言う「地上天国」って何?統一教会の活動をすればする程、「地上地獄」 になるように思うんですが・・・     短い信仰暦だけど、教会を離れたほうが喜びを感じるんですが・・・   本当に「地上天国」がくるならもう来てもいいんじゃないですか? 「終末」と言われてもう長いじゃないですか? 確かにこの世の中はサタン世界で悪いことが次から次とおきてきて神様が悲し まれている事は理解できるけど・・・ 本当に神様が求められているのは何なんでしょうか?本当に神様が求められい ることが統一教会の活動なんでしょうか? と、ここで言ってもダメですよね。 NO.3387 送信日時: 2003年4月26日土曜日 22:26 ペンネーム=ぶ くまのこプーさんへ お久しぶりです。 くまのこプーさん、迷っているのですね。 それは、本心の感じたことが忘れられないからでしょうね。 私の近くの人で離れた人がいます。 その人は、みんながたくさんいて、一見楽しそうなところでも、 なにか寂しさや物足りなさを感じるといっていました。 心の底からの満足はないと言っていました。 >本当に神様が求められているのは何なんでしょうか?本当に神様が求められ いることが統一教会の活動なんでしょうか? 神様が本当に求められていることは、くまのこプーさんが救われることです。 私たち日本人は表面的には、物も豊かで、何不自由なくくらせます。 そして、家族もなかがよかかったら、原理の生活の方が辛く、逃げ出したいと いう思いになるでしょう。 どうみても、原理は辛く、苦しいことだらけかもしれません。 でも、精神的には満たされます。 楽しいこともたくさんあると思いますが 私たちは、堕落しました。 死んでもよいという思いで堕落しました。 だから、今度も死んでも帰りたいという思いで、神様と歩まなければならない のです。 人間はたくさん辛い思いや、否定されることで成長します。 神様のお気持ちもわかるようになります。 神様は自分の子でありながらも、サタンにとられてしまって、十分に愛せない ことが悲しいのです。 神様が世界を作ったけど、自分の国がないのです。 私たち人間は聖書に書いてあるように、再臨主が必要なのです。 私たちひとりでは、本当に善に変わることができないのです。 神様や再臨主がいないと、天国にはいけないのです。 キリスト教で基盤を立てたかったのですが、立てられず、統一協会をたてとの です。 >「地上天国」って何? みんなが為に生きる世界です。 戦争も国境もないせかいです。 神様の愛に満たされながら、生きる世界です。 今の世の中を見ると、すぐに地上天国ができないのはわかると思います。 一人一人の努力なくしては作れません。 >でも本当に統一教会は本物なんだろうか ? 本当ですよ。 しかし、神様に祈って、答えを求めてください。 いくら人から言われたところで、信じられないと思うから、 神様本人に一生懸命に尋ね求めて下さいね。 答えを教えてくれますよ。 神様は、くまのこプーさんが神様を知ったことで喜びですよ。 くまのこプーさんが存在することが、神様の喜びですよ。 くまのこプーさんがゆっくりと、神様に甘えてみてくださいね。 自分自身の今まで辛かったことや、悲しかったこと、不平不満などすべて神様 におっしゃて下さいね。 くまのこプーさんは悩んでいると思いますから、自分のことを神様に報告して くださいね。くまのこプーさんが神様の御加護がありますように。 礼拝だけ行くことでも神様は喜ばれますよ。 http://www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/form3401-.htm 送信日時: 2003年4月27日日曜日 23:49 ペンネーム=ランナー Re3387 ぶさん はじめまして。 >どうみても、原理は辛く、苦しいことだらけかもしれません。 >でも、精神的には満たされます。 これは、イエス様の教えとは違いますね。 イエス様は、以下のように教えていますから。 /////// ルカ10章 /////////////// 10:38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、 マルタという女が喜んで家にお迎えした。 10:39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞 き入っていた。 10:40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、 みもとに来て言った。 「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならない のでしょうか。 私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」 10:41 主は答えて言われた。 「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。 10:42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。 マリヤはその良いほうを選んだのです。 彼女からそれを取り上げてはいけません。」 /////////////////////////////////////////////// このように、イエス様は、「辛く、苦しいこと」をするよりも、 イエス様の教え(福音書)を静かに聞く「楽なこと」が良いほうであると 教えていますから。 NO.3407 送信日時: 2003年5月1日木曜日 11:26 ペンネーム=ぶ ランナーさん <イエス様は、「辛く、苦しいこと」をするよりも、 <イエス様の教え(福音書)を静かに聞く「楽なこと」が良いほうであると <教えていますから 静かにきく=楽とは結びつかないと思います。 イエス様の教えが大事であることを強調しているだけの文章だと思います。 NO.3415 送信日時: 2003年5月2日金曜日 0:07 ペンネーム=ランナー Re3407 ぶさん >静かにきく=楽とは結びつかないと思います。 そうでしょうか。 イエス様は、以下のうようにもおっしゃっています。 /////////// マタイ11章 //////////////////////////////// 11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、 あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。 そうすればたましいに安らぎが来ます。 11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 /////////////////////////////////////////////////////////// これは、「楽」になりなさいという、 イエス様の心が、ここにもあらわれていると思います。 (イエス様は神様でもありますよ) 引用おわり Re: イエス様はどんな人 未熟年 - 2004/07/26(Mon) 10:30 No.5837 ランナーさん、横合いからすみません。 失礼ながら、どーなさんが提起しておられる論点からずれてきているのではないでしょうか。 ランナーさんが「オーケーではありません」と言われるのはわかりますが、 どーなさんは「オーケーだ」と言われているのはご自身の意見ではなく、 UC ないしその信者の考え方を言っておられるのではありませんか。 そういう考えの人間に向かって「それは聖書と違う」と言っても効果がない、 というのがどーなさんのご主張と私は理解しています。 そもそも UC 信者は非原理の人との議論に負けても何とも思わないみたいなところがあって、 だから困るのですが・・・ Re: イエス様はどんな人 ランナー - 2004/07/27(Tue) 00:51 No.5843 未熟年さん こんばんわ >どーなさんは「オーケーだ」と言われているのはご自身の意見ではなく、 >UC ないしその信者の考え方を言っておられるのではありませんか。 >そういう考えの人間に向かって「それは聖書と違う」と言っても効果がない、 >というのがどーなさんのご主張と私は理解しています。 わたしも、そう理解していました。 ちょっと誤解されるような言い方をしてしまったようですので、補足します。 どーなさんは統一協会の内実を報告してくださいました。 それで、私は、その内容「イエスに合わせないでもオーケー」 という概念に対して、その概念は誤っていると主張したいと思います。 (どーなさんにディベートを仕掛けているわけではありません。 統一協会の、まだ信仰を始めて間もない方に、呼びかけたいのです。) Re: イエス様はどんな人 未熟年 - 2004/07/27(Tue) 08:49 No.5844 ランナーさんお答え有難うございました。 了解しました。 スレッド(原理講論は沢山あるえせ科学のうちの1つ)での南雲さんの質問への返事 左の素材は http://www.hi-net.zaq.ne.jp/bucad408/ から借用 5 :ランナー:2004/09/05(日) 20:03:58:00 南雲さん こんばんわ 以下の質問にお答えしたいと思います。 ---------------------------------------- 8 :南雲:2004/09/04(土) 10:29:17:00 Subject: ランナーさんへ 投稿者:南雲 一つお尋ねしますが、結局のところランナーさんは神について、 原理講論でいう二世性相の中和的主体という以外の見解をもっているのでしょうか? 聖書には 『神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、  神のかたちに創造し、男と女とに創造された。』 という聖句をみれば大腸菌がどうであれ神の性質は、人間の男という要素と女という要素を 兼ねて持っている存在ではないのでしょうかね? No.6330 2004/09/04(Sat) 10:29 -------------------------------------------- これは、先ず神様を知らなければ答えられないことと思います。 そのため、先ず、聖書を読んでみます。 //// ヨハネ14章 /////////////// 14:8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」 14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、 あなたはわたしを知らなかったのですか。 わたしを見た者は、父を見たのです。 どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。 14:10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。 わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。 わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。 14:11 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。 さもなければ、わざによって信じなさい。 ////////////////////////////// 南雲さんは、このことばを信じますか? 6 :布田(協会を離れた現役一世):2004/09/05(日) 23:50:53:00 Subject: 横レス > 14:10 > わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。 > わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。 > わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。 > 14:11 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。 > さもなければ、わざによって信じなさい。 > ////////////////////////////// > > 南雲さんは、このことばを信じますか? 私は信じます、というより神を見ることが出来ています。 7 :ランナー:2004/09/06(月) 22:36:23:00 布田さん >私は信じます それなら、また福音書を通読してください。 8 :南雲:2004/09/07(火) 16:29:47:00 遅れました南雲です。 > これは、先ず神様を知らなければ答えられないことと思います。 > そのため、先ず、聖書を読んでみます。 私が神に対してどのような見解をもっていたとしても、 まずあなたのもっている神観が、二性性相の中和的主体であり、 男という要素と女という要素を 兼ねて持っている存在であるのかの是非については、 この時点で答えていただける範囲のものだと思います。 まずあなたの見解を提示してから、どうしてあなたがそのように思われるかを、 説明していただいた方が、話がはやいと思いますので是非お願いします。 個人的な見解として、あなたが提示してくださった聖句は、 イエスが神の代身者であり、メシアであることを伝える聖句だと理解しています。 神=イエスであり、神の性質がイエスの性質であるとは考えませんが、 あなたの考えはどのようなものなのでしょうか? 9 :ランナー:2004/09/10(金) 01:36:13:00 南雲さん こんばんわ >神=イエスであり、神の性質がイエスの性質であるとは考えませんが、 >あなたの考えはどのようなものなのでしょうか? この場面は、ピリポが、 「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」 と言ったことに対して、 イエス様がその願いをかなえ、「父=神様」を見せた場面と思います。 イエス様が、「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、 あなたはわたしを知らなかったのですか。」 と言ったのは、 「実は私がそれ(神様)なのです。」 と言っている場面と思います。 私は、このイエス様の言葉には嘘が無いと信じています。 南雲さんは福音書のこの言葉を信じていますか。 南雲さんは、聖書を信じて引用しているのですか。 また、もし、私と南雲さんにイエス様を神様と思うか思わないかの違いがあるなら、 「神観が、二性性相の中和的主体」という言葉自体が意味をなさないことになります。 その理由は、あなたと私は違うもののことを神と言っているから、神という言葉の意味が定まらない。 それゆえ、「神の二性性相」という言葉が意味を成さない言葉になってしまうからです。 10 :南雲:2004/09/11(土) 01:52:29:00 Subject: ランナーさんへ こんばんは。 > 私は、このイエス様の言葉には嘘が無いと信じています。 > 南雲さんは福音書のこの言葉を信じていますか。 > 南雲さんは、聖書を信じて引用しているのですか。 それでは、あなたの聖書に対する姿勢についてお尋ねしますが、 あなたにとって聖句は、そこに誤謬や矛盾など存在しないものであると、 そのようにお考えですか? あなたの解釈にはやや逐語霊感説的なところがあるように感じます。 聖書が無謬の書ではないことはあなたも理解されているところでしょう。 しかし、あなたがどう思われているかは分かりませんが、 もちろん私も聖書を信じているものです。 さてこの解釈についてですが、あなたが引用された部分の後には 『わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。 わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。 わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。 14:11 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。 さもなければ、わざによって信じなさい。』 とあります。 これをみればイエス=神ではなく、明らかに別の存在であるように感じます。 ですので私は前にも言ったようにこの聖句について、イエスが神の代身者であり、 メシアであることを伝える聖句だと理解しています。 そして > また、もし、私と南雲さんにイエス様を神様と思うか思わないかの違いがあるなら、 「神観が、二性性相の中和的主体」という言葉自体が意味をなさないことになります。 と、あなたはおっしゃり、その理由として > あなたと私は違うもののことを神と言っているから、神という言葉の意味が定まらない。 それゆえ、「神の二性性相」という言葉が意味を成さない言葉になってしまうからです。 とおっしゃっていますが、いまいち理解がすっきりいきません。 もし仮に私がイエス=神であるという見解をもっていれば、 あなたはどのようにお答えになるのですか? イエスは男であったので神も男であり、女性的な要素は持たない、 とお答えになるのでしょうか? 11 :ランナー:2004/09/11(土) 08:05:07:00 南雲さん おはようございます。 >これをみればイエス=神ではなく、明らかに別の存在であるように感じます。 これは、福音書には、そのように書いてはありません。 以下に書いてある通りです。 //// ヨハネ1章 /////////// 1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 1:2 この方は、初めに神とともにおられた。 1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。 1:6 神から遣わされたヨハネという人が現われた。 1:7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。 1:8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。 1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。 1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。 1:11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。 1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、 神の子どもとされる特権をお与えになった。 1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、 ただ、神によって生まれたのである。 1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。 父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。 この方は恵みとまことに満ちておられた。 1:15 ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。 「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである。』 と私が言ったのは、この方のことです。」 1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。 1:17 というのは、律法はモーセによって与えられ、 恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。 1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。 //////////////////////////////////////// このように、福音書ではイエス様を神様とよんでいます。 南雲さんは、これを信じていないのですか。 12 :横入り:2004/09/12(日) 09:21:44:00 Subject: 事実が知りたいだけ、信じる対象は要らない >このように、福音書ではイエス様を神様とよんでいま>す。 >南雲さんは、これを信じていないのですか。 ランナー師とやらに。 信じますかという質問は、 「事実ではないのですが、信じますか」 という意味に捉えて良いですね。 みんな、事実が知りたいのであって、 いまさら、信じなさいでもないでしょう。 何とか嘘と虚構を信じさせようとする あなたの”あざとさ”には辟易しますね。 文鮮明氏の手下と変わりませんよ。あなたは。 13 :南雲:2004/09/12(日) 14:08:52:00 こんにちは、こっちは今日も雨続きです。 さて、わたしが聖書が無謬の書ではなく、矛盾や誤謬があるものだということに、 あなたは特に反論もされませんので、沈黙も一つの答えとしてうけとっておきましょう。 あなたもよく分かっているように聖書の記述には矛盾も人的要素もありますから、 イエスが人としてとれる記述や、神としてとれる記述もあるのです。 ですのでこの問題に対して、包括的な統一的見解を求める必要があることを、 あなたも感じているでしょう。 そのために私とあなたは対話をしているのではないでしょうか? できればもう少し肩の力をぬいて、自分の主張を展開するだけではなく、 こちらの質問にも真摯な姿勢で接していただけたらと思います。 14 :ランナー:2004/09/12(日) 16:53:47:00 南雲さん こんにちわ >聖書には >『神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、 >神のかたちに創造し、男と女とに創造された。』 > >という聖句をみれば大腸菌がどうであれ神の性質は、人間の男という要素と女という要素を >兼ねて持っている存在ではないのでしょうかね? >わたしが聖書が無謬の書ではなく、矛盾や誤謬があるものだということに、 南雲さんは上の2つの主張をされましたが, 後者の主張は前に言ったあなたの言葉を否定するものでしょう。 15 :南雲:2004/09/14(火) 19:29:24:00 遅れました。 > 南雲さんは上の2つの主張をされましたが, 後者の主張は前に言ったあなたの言葉を否定するものでしょう。 私の主張は聖書を完全に否定するというものではありません。 聖書に対して、逐語霊感説のような見解はもっていないということです。 ですので私は聖書に矛盾や誤謬があり一字一句誤りがないわけではないし、 やはりそこには様々な人的要素も存在しているのであろうと思います。 しかし私は基本的には、聖書が神の霊感による書物であることを信じるものです。 あなたはこれに対してずいぶんと曖昧にして、はっきり答えられないようですが、 やはり聖書に矛盾や誤謬があることは理解されているのだと思います。 ですので何度も繰り返しますが、この問題に対して包括的な、 統一的な見解を求める必要があると私は感じています。 あなたもただ聖句の引用ばかりしていても、問題が解決されないことを理解してください。 16 :ランナー:2004/09/16(木) 23:02:59:00 南雲さん こんばんわ。 (第1の意見)南雲さん 聖書には 『神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、  神のかたちに創造し、男と女とに創造された。』 という聖句をみれば大腸菌がどうであれ神の性質は、人間の男という要素と女という要素を 兼ねて持っている存在ではないのでしょうかね? -------------------------------------------- (異論1)ランナー 神という言葉の意味が定まらない。 それゆえ、「神の二性性相」という言葉が意味を成さない ----------------------------------------------------- (異論2)南雲さん わたしが聖書が無謬の書ではなく、矛盾や誤謬があるものだという ------------------------------------------------------------- 最初の第1の意見に対して 以上の2つの異論が提示されました。 これに対して、第1の意見の正当性を主張できる論拠が提示できないでいますが、 南雲さんも、第1の意見には論拠が無いと了解されたのでしょうか。 南雲さん> >あなたもただ聖句の引用ばかりしていても、 イエス様の福音書をメインテーマとするこのスレッドでこのようなことを言うとは、、、 南雲さんは福音書を通読したことがありますか。 17 :南雲:2004/09/17(金) 01:22:08:00 こんばんは。 それでは少し整理してみましょうか。 > (異論1)ランナー 神という言葉の意味が定まらない。 それゆえ、「神の二性性相」という言葉が意味を成さない 申し訳ありませんが、あなたのおっしゃることがよく理解できません。 それではあなたの神という言葉の意味について明確に、はっきりと述べてみてもらえますか? > (異論2)南雲さん わたしが聖書が無謬の書ではなく、矛盾や誤謬があるものだという それではこれについても明確にあなたの考えを、 聖書は無謬の書である、無謬の書ではない、のどちらかで、 はっきり答えていただけますでしょうか? 最後に私が、 > 聖句の引用ばかりしていても、問題が解決されないことを理解してください。 といったのに対してあなたは、 >> イエス様の福音書をメインテーマとするこのスレッドでこのようなことを言うとは、、、 とおっしゃっていますが、私はあなたからの返事の大部分を聖書の引用が占めていて、 こちらが求めている明確な返答がされてないように感じますので、このように言ったのです。 私も足りないでしょうが、あなたとの対話が充実したものになるよう努めますので、 あなたも真摯な態度で明確に答えてくださいますよう、よろしくお願いします。 18 :ランナー:2004/09/18(土) 07:46:30:00 南雲さん おはようございます。 南雲さんに、「福音書を通読したことがありますか」と聞きましたが、 返事がありませんね。 たぶん南雲さんは福音書を通読したことが無いのでしょう。 それでは、福音書を読んでみます。 ///// マタイ7章 /////////// 7:15 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。 7:16 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。 ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。 7:17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。 7:18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。 7:19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。 7:20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。 /////////////////////////////////////////// 南雲さんは、このことばを信じますか。 19 :南雲:2004/09/18(土) 12:11:13:00 おはようございます。 > 南雲さんに、「福音書を通読したことがありますか」と 聞きましたが、 返事がありませんね。 たぶん南雲さんは福音書を通読したことが無いのでしょう。 お言葉ですが福音書に関しては通読したことがあります。 それにしても相変わらず明確な返答が得られていないようですけれど・・・ ずいぶんと非効率的で内容のない対話になっているように感じます。 何度もいいますが、まず私があげたものに明確に答えていただけますか? 20 :ランナー:2004/09/18(土) 23:01:23:00 南雲さん こんばんわ >福音書に関しては通読したことがあります。 そうですか。 それでは、先のマタイ7章は読んだことがありますか。 21 :南雲:2004/09/18(土) 23:53:01:00 こんばんは。 あのですね、通読したことがあるといったではないですか。 私からの問いに答えられないのはなぜなのでしょうか? まともな対話があなたとはできないようですが・・・ 22 :ランナー:2004/09/19(日) 05:50:50:00 南雲さん おはようございます。 南雲さんに、マタイ7章の先のことばを「信じていますか」とお聞きしましたが、 返事がありませんね。 たぶん南雲さんは、このマタイ7章のことばを無視しているでしょう。 このことばを無視するとどうなるか? 福音書を読んでみます。 ////// マタイ7章 //////////// 7:24 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、 岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。 7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。 岩の上に建てられていたからです。 7:26 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、 砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。 7:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。 しかもそれはひどい倒れ方でした。」 /////////////////////////////////// 先のことばを無視した南雲さんは、福音書に書いてあるこのことばの通りになるでしょう。 23 :南雲:2004/09/19(日) 13:46:13:00 Subject: ランナーさんへ おはようございます。 やや残念に思います。もう少し人格的で、理性的で、真摯な方だと思っていたのですが。 > 先のことばを無視した南雲さんは、福音書に書いてあるこのことばの通りになるでしょう。 と、ありますがあなたがそうお考えならそれで結構です。 しかし私に言わせてみれば、あなたもイエスの言葉通りに行ってるようには感じられません。 『人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。  あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。』 聖句でこのようにあるように、あなたも自分に間違えはなく正しいと思うのではなく、 私もあなたも倒れないように、私もあなたも裁かれないように、 そのための対話をしましょう。 砂の上で傾ぐ家の窓から私の家をみれば、さぞかし傾いで見えることでしょうね。 あなたはどうして私の問いかけには応じずに、 > 南雲さんに、マタイ7章の先のことばを「信じていますか」とお聞きしましたが、 返事がありませんね。 たぶん南雲さんは、このマタイ7章のことばを無視しているでしょう。 などと言うことができるのでしょうか? ちゃんと私の質問に答えてくださることを信じお待ちしております。 24 :ランナー:2004/09/19(日) 15:05:58:00 南雲さん こんにちわ >私に言わせてみれば、あなたもイエスの言葉通りに行ってるようには感じられません。 やはり、南雲さんはイエス様のことばを無視していたのですね。 それでも、南雲さんにお話ししてみましょう。 イエス様は、 「良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。」 と教えています。 この言葉を素直に聞けば、以下のように考えられます。 統一協会員が霊感商法というサギ、誤ったことの励みにしているのが、 「神の二性性相」説です。 サギという悪い実は良い木から生まれることはありません。 そのサギの原動力となっているのが「神の二性性相」説ですので、 「神の二性性相」説は、誤りの元であり、悪い木です。 25 :南雲:2004/09/19(日) 19:13:02:00 ランナーさん。 > やはり、南雲さんはイエス様のことばを無視していたのですね。 どうして私がイエスの言葉を無視していたといえるのですか? どこにそのようなことが書いてあったのですか? それにキリスト教がその歴史において一度も悪い実をならせたことはないのですか? 誰もが双手で受け入れるようなものだったのでしょうか? 一度も腐敗を通過したことはないのですか? それとあなたは > サギの原動力となっているのが「神の二性性相」説ですので、 「神の二性性相」説は、誤りの元であり、悪い木です。 とおっしゃっていますが、意味が不明です。 私があなたに対して質問したのは、あなたのもっている神観が、二性性相の中和的主体であり、 男という要素と女という要素を 兼ねて持っている存在であるのかの是非についてと、 その根拠についてです。 サギの原動力になっているから、神は二性性相ではないというあなたの論理は、 ちょっとおかしなものではありませんか? 26 :ランナー:2004/09/19(日) 19:52:48:00 南雲さん こんばんわ >サギの原動力になっているから、神は二性性相ではないというあなたの論理は、 >ちょっとおかしなものではありませんか? 南雲さんは, 「神の二性性相」説が 宗教の教義であることが分かっていないのではないですか。 少なくとも科学ではありません。 そのため,その信者にサギを働かせる原動力となっている教義ですので, 「神の二性性相」説(教義)は誤っています。 27 :ランナー:2004/09/19(日) 20:11:58:00 南雲さん >どうして私がイエスの言葉を無視していたといえるのですか? 南雲さんは,以下のように, 私(ランナー)も南雲さんと同じくイエス様の言葉を無視していると言っていましたね。 これは,当然,南雲さんがイエス様のことばを無視していることが前提のことばでしょう。 >私に言わせてみれば、あなた(ランナー)も(南雲さんと同じく) >イエスの言葉通りに行ってるようには感じられません。 こんどは南雲さんがイエス様のことばを無視してはいないと言ったので, イエス様のことばを聞いてみましょう。 //////// マルコ12章 ////////////////// 12:18 また、復活はないと主張していたサドカイ人たちが、イエスのところに来て、質問した。 12:19 「先生。モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、兄が死んで妻をあとに残し、 しかも子がないばあいには、その弟はその女を妻にして、兄のための子をもうけなければならない。』 12:20 さて、七人の兄弟がいました。長男が妻をめとりましたが、子を残さないで死にました。 12:21 そこで次男がその女を妻にしたところ、やはり子を残さずに死にました。三男も同様でした。 12:22 こうして、七人とも子を残しませんでした。最後に、女も死にました。 12:23 復活の際、彼らがよみがえるとき、その女はだれの妻なのでしょうか。 七人ともその女を妻にしたのですが。」 12:24 イエスは彼らに言われた。 「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありませんか。 12:25 人が死人の中からよみがえるときには、 めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。 12:26 それに、死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の個所で、神がモーセにどう語られたか、 あなたがたは読んだことがないのですか。 『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』 とあります。 12:27 神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。 あなたがたはたいへんな思い違いをしています。」 ////////////////////////////////////////// イエス様は,人が死人の中からよみがえるときには,男女の関係が無くなると教えていますので,神様もそうでしょう。 そのため, 「神の二性性相」(「神」に男女の関係がある)という教義の「神」は,イエス様の教える神様ではありません。 28 :布田(協会を離れた現役一世):2004/09/21(火) 01:09:58:00 出ました。律法学者。(失礼つかまつった) 29 :南雲:2004/09/21(火) 19:28:00:00 Subject: ランナーさんへ こんばんは > 南雲さんは, 「神の二性性相」説が 宗教の教義であることが分かっていないのではないですか。 少なくとも科学ではありません。 そのため,その信者にサギを働かせる原動力となっている教義ですので, 「神の二性性相」説(教義)は誤っています。 なんか言っていること、めちゃめちゃじゃないですか? どうも理解ができないのですが。 30 :ランナー:2004/09/23(木) 07:05:13:00 南雲さん おはようございます。 (第1の意見)南雲さん 聖書には 『神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、  神のかたちに創造し、男と女とに創造された。』 という聖句をみれば大腸菌がどうであれ神の性質は、人間の男という要素と女という要素を 兼ねて持っている存在ではないのでしょうかね? -------------------------------------------- (異論1)ランナー 神という言葉の意味が定まらない。 それゆえ、「神の二性性相」という言葉が意味を成さない ----------------------------------------------------- (異論2)南雲さん わたしが聖書が無謬の書ではなく、矛盾や誤謬があるものだという ------------------------------------------------------------- (異論3)ランナー サギの原動力となっているのが「神の二性性相」という教義ですので、 「神の二性性相」という教義は、誤りの元であり、悪い木です。 ------------------------------------------------------------- (異論4)ランナー イエス様は,人が死人の中からよみがえるときには,男女の関係が無くなると教えていますので,神様もそうでしょう。 そのため, 「神の二性性相」(「神」に男女の関係がある)という教義の「神」は,イエス様の教える神様ではありません。 ------------------------------------------------------------- 最初の第1の意見に対して 以上の4つの異論が提示されました。 異論が増えたにもかかわらず、第1の意見の正当性を主張できる論拠は、何1つ提示できないでいます。 そのため、南雲さんは、第1の意見の正当性は主張できないと考えているのでしょう。 31 :布田(協会を離れた現役一世):2004/11/09(火) 12:32:37:00 Subject: せっかくだから。 ランナーさん、伝道お疲れ様です。

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